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2018年 09月 23日 (日)
10時 30分
すでに終了した行事です
長願寺 秋彼岸会法要|長願寺・本堂
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行事説明
勤行:『佛説阿弥陀経』と『正信偈』にてお勤めいたします。(経本は貸出致します。)
法話:海法龍師(長願寺住職)
講題:「死者、そして今を生きるということ」-彼岸のこころ-
※9月の「正信会」は、春彼岸会法要に振り替えです。
※2019年2月28日まで駐車場が変更となります。詳細は長願寺までお問い合わせください。
※長願寺「秋彼岸会法要」のご案内より
今年の夏も不安定な気候が続き、七月は猛暑、八月も猛暑。三日ほど過ごしやすい日がありましたが、それもつかの間でした。また集中豪雨で災害も多く、犠牲になった方もたくさんいらっしゃいました。残されたご遺族の深い悲しみが報道されていました。
私たちはいつ何が起こるか、わからない毎日を生きています。普段はそんなことは、まったくと言っていいほど意識していません。災害の報道があっても、どこか他人事です。しかし現実の厳しさは、実は誰にでもふりかかってきます。私自身が、何時その悲しみの当事者になるかわかりません。それが私たちの生きているという事実です。
五年前、兄が六十四歳で病死しました。まさか兄がそんな病になるとは思ってもいませんでした。家族の病気という当事者になってしまいました。明日、手術という日に、本人と家族に手術の説明がありました。病室に説明に来たのは五十歳前後のドクターでした。私たちを前に、両手をポケットに入れたまま、開口一番「この病気は成績(術後の生存率)が悪かっですもんな」(熊本の病院)と言われました。
この言葉を聞いたとき、その後の医師の言葉が耳に入ってきませんでした。「この無神経な態度は何だろう。患者や家族の不安な気持ちをどう思っているのか」。患者の病気に向き合っているはずの医師としての、その当事者意識が全く感じられず、何ともいえない怒りと悔しさを感じたことでした。
兄はその後、手術をし、体にまだ管が入ったまま一週間後に退院させられ、二ヵ月後には再発し、あれよあれよという間に衰弱し苦しみと痛みの中で死んでいきました。そして兄の闘病中の気持ちにも触れることができました。
近しい存在の病と死だからこそ経験できたことでした。病と死、それは残されたものにとっては教えです。母も来年九十歳。老いと病の中で生きています。兄の人生も母の人生も良かったことも、そうでなかったことも、すべてが私にとって教えです。そして医師としての当事者意識を感じなかった、あのドクターの態度も、自分の中にまったくないとは言い切れないものがあることを、教えられたような気がします。
経典には、身の事実に目覚めていくことと、その事に対して他人事にしてしまい、楽な方ばかりに関心が向いてしまう、私の姿を言い当ててくるものがあります。家族の死の悲しみをとおして、自分自身の悲しみを感じます。
この「秋彼岸会法要」で、あらためて親鸞聖人の彼岸の心に学び、死者をとおして、この人生を、もう一度見つめ直し、私たちの今を、ご一緒に尋ねて参りたいと思います。お誘い合わせの上、是非ご参詣ください。
長願寺住職 海法龍 -
講師
海法龍 師
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主催
長願寺 (真宗大谷派)
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会場地図
長願寺・本堂
神奈川横須賀市長浦町3丁目19 -
問い合わせ
046-822-6256 電話をかける
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参照URL
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注意事項
参加資格無し・申し込み不要・駐車場(要注意)有り
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登録:聞信
更新:2018-09-03 12:02:51
※本サイトに掲載されている法話情報は登録したユーザーからによるものであり、その正確性に関していかなる保証もいたしません。参詣される前には会場または主催者に問い合わせをされる事をお勧めいたします。
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